7月4日付の全国重傷者数は496人。ワクチンの抑制効果と医療者みなさんのがんばりの賜物です。各国のワクチン接種状況から3つのことがわかります。

(1)イギリスの再拡大がやばい。デルタ種(インド種)によるものである。

(2)ドイツとカナダが優秀。見習うべきことが多いと思われる。

(3)日本の新規感染者数はピークの1/4になった。

つまり、デルタ種の流行に細心の注意を払い、ドイツやカナダの良いところを真似れば収束に向かうということです。

【最近のワクチン事情について調べてみました】

インフルエンザの流行時期になっても「自分とは関係ない」と思っていた私は、これを機会に知ろうと思いました。すると、インフルエンザワクチンと新型コロナワクチンでは開発の世代が違うことがわかりました。

1st生ワクチン弱らせたウイルスを培養して増やしたもの
2nd不活化ワクチンウイルスを活動できない状態にして培養し増やしたもの。 →インフルエンザワクチンがこれにあたる。
3rd組み換えワクチン不活化のウイルスを人工的に作り培養して増やしたもの →塩野義製薬が開発中の国産ワクチンがこれにあたる。  (2022年1月から年間最大6千万人分の計画)

ここまでが従来からあった「伝統的ワクチン」と呼ばれるものです。21世紀に入り、中国で流行した重症急性呼吸器症候群(SARS)や、アラビア地域で流行した中東呼吸器症候群(MERS) の経験を元に、遺伝子工学やバイオテクノロジーを駆使して全く新しいワクチンの形が開発されました。

それは、できあがったワクチンを注射などで体内に入れるのではなく、設計図だけを作り、人間の体内で組み立てるという発想でした。

4thベクターワクチンワクチンの設計図だけ作り、それを別のウイルスに運ばせて、人体の中で完成させる→アストラゼネカ製新型コロナワクチンがこれ
5th核酸ワクチンDNAの設計図を人体に直接送り込み、体内でワクチンを完成させる →ファイザー製、モデルナ製新型コロナワクチンがこれ

これを「料理」に例えると、1~3は完成された料理を配達しているのに対し、4~5はレシピだけ渡して、材料を現地で調達し完成させる、といった違いがあります。

なお、4~5は2003年のSARSの流行をきっかけに動物実験が進められ、理論上はクリアしたものの、臨床試験や認可の手続きで実用化されるには10~20年はかかると言われていたものです。

違う例えになりますが、レーシック手術(角膜にレーザーを当てて屈折力を調整することにより近視・遠視・乱視を矯正する)は多くの人の視力を回復させた実績はありますが、被験者が10年20年後にどうなるかのデータが不十分であることと、よく似たケースだと思います。

今の自分、家族のこと、交友関係、日本の今後、そして自分の未来、といったいろんな角度から

やる/やらないをお考えくださればよいかと私は思います。

【東京五輪1964について調べてみました】

東京五輪2020開催についての賛否は人それぞれあると思うので、57年前の前回大会についてわかったことをご紹介します。

1.新幹線開通時に世界初の技術がたくさん生まれた

1938年、日中戦争の最中、東京を起点に大阪経由で下関までの区間を最高時速200キロで結ぶ

「弾丸列車」の構想が持ち上がった。さらには対馬海峡をトンネルで結び中国大陸へとつなぐ壮大

なものに変わっていったが、第二次世界大戦戦局の悪化で計画は途中でストップした。戦後12年

経った1957年に新幹線構想は発表された。その2年後の1959年5月、東京五輪の開催が決

まり新幹線の開業もそこに合わせることになった。

初代新幹線の団子鼻の形状は、飛行機開発技術から流線形と軽量化を図り、空気抵抗を従来車両の

半分にすることに成功した。「最高時速250km、つまり秒速70mは人間の注力を超える」と判断し、

世界で初めて自動列車制御装置(ATC)を採用した。これは「約3キロごとに最高速度を定めた速度

信号をレールに流し、1キロでもオーバーすれば自動的にブレーキがかかるシステム」だった。

その他、高速で走るがゆえの振動対策に「空気バネ」を使ったり、トンネル内の気圧変動により、

耳が痛くなったり、ドアが開かなくなったりするトラブルに対し、急遽、機密構造に設計変更した。米原近辺の雪対策では、張り付いた雪が氷になって落下する際、砂利を跳ね上げ車体を傷つけてしまうトラブルを、スプリンクラーを使って雪の舞い上がりを防ぐ技術も開発した。

 2.日本の時計産業が黎明期を迎えた

当時、精密時計といえばスイス製の独断場だったが、東京五輪の計測用は「オール国産」で固めた。このとき服部セイコーが開発したクオーツ(水晶振動子を用いた時計。一秒間に3万回以上振動し、その力で針を正確に回す)はのちの世界スタンダードとなった。水泳競技で電子式自動審判装置、いわゆる「タッチ版」が使われたのも本大会が初だった。プールの波による水圧と、手で触ったこととを識別するのに、大変苦労されたようだ。

3.コンピュータ化の先駆け

電子計算機を用いて速報管理、集中管理したのも本大会が初だった。おかげで新記録、タイ記録を

ただちに判別し速報配信したり、各競技場の成績のデータを集めることも正確に格段に速くできた。

警備体制も全面的に機械化。警視庁本部には無線テレビなどが導入された。

4.文字の代わりに絵文字を使った案内表示「ピクトグラム」は東京大会が先駆けとなった。

5.34人の大会コンパニオンを始め、電話交換手も外国人観光客が増えるのに対応するため、英語を

猛特訓。彼女たちは「声の外交官」と呼ばれた。また、警視庁は外国人講師を招いて英会話教室を

開催。突然の道案内にも英語で対応できるようにした。

(参照)読売新聞「1964年東京五輪の記憶」および「新幹線半世紀の旅」